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見るために生まれ、物見の役を仰せつけられ (ゲーテ「ファウスト 悲劇第二部 第五幕」より)
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イノベーション。
マクロで見れば資本主義経済の成長ドライバーであり、ミクロで見れば企業が競争を制する、あるいは変革を遂げる切り札であり、ビジネスパーソンであれば誰しも成し遂げたいと切望するものでしょう。今日のような低成長の経済環境下においては、「イノベーション」という言葉が魅力的に響くようで、さまざまなメディアで見聞きするようになります。
しかし、実際にはイノベーション起こることは稀です。それは当たり前の話で、イノベーションとは、一見不可能に見えるものをブレイクスルーした結果、生まれるものだからです。そもそも不可能とも思える難問に挑戦する人がそもそも少ないし、その難問を乗り越えられる人はほんの一握りでしょう。
特に、現在のような経済が停滞している中では、人々(そしてその人間の集まりである企業)は、守りに入ってしまう傾向があるようで、チャレンジがよけいに少なくなる気がします。(経済が停滞しているからチャレンジが減るのか、チャレンジが減るから経済が停滞するのか、どちらなのかは分かりませんが・・・)
では、イノベーションを成し遂げるためには何が必要なんだろう。イノベーションに関しては、経営学の世界で数多くの研究がなされていますが、少なくとも、理想が必要なことは間違いないと思います。
皆さんは何か目標を立てるとき、どのように立てているでしょうか?
目標のたて方には2つのアプローチがあります。ひとつは積み上げ型。例えば、次のような考え方です。今日できることはコレコレだから、一ヶ月で出来ることは、これくらいだろう。ってことは、一年間に出来ることは、その12倍のこれくらいかな。
これは一見現実的な目標の立て方に見えますが、このような目標の立て方では、イノベーションはむずかしい。なぜなら、そこにはブレイクスルーの必要性がないからです。
では、もうひとつの目標の立て方、それはまずはじめに理想を考えることです。現実はひとまず横においておいて、理想の数字、理想の姿を想像します。もちろん、一見それは実現不可能なものでしょう。しかし、そこには実現するための阻害要因が存在するはずです。ここでなぜ実現不可能なのかを考え、その阻害要因をどうやったら取り除けるを考える。
その理想が高ければ高いほど、実現不可能であればあるほど、それをブレイクスルーしたとき、すばらしいイノベーションになるわけです、つまり、高い理想を求めるからこそイノベーションが生まれるのではないでしょうか。
しかし、理想を考える時に気をつけなくてはならないことがあります。それは、理想が夢想にならないようにすることです。では、(たとえ一見不可能に見えたとしても)ブレイクスルー可能な理想と、実現不可能な夢想を分かつものはなんでしょうか。
それは、しっかり頭を使っているか、目標達成のための方法を考え抜いているかということではないでしょうか?
例えばです。海王星に行く、という目標を立てたとします(10兆円の売り上げ達成でも、貧困の撲滅でもいいです)。この時、じゃあとりあえずとか言って、いきなりジャンプしてみたり、ロケットに乗って出発してみたりするようでは、その目標は夢想でしかありません。このようなアプローチでは、目標はおそらく達成不可能でしょう。
そうではなく、現実に今できること、やっていること、分かっていることをしっかりと踏まえて、その上で理想を現実化するためには何が阻害要因になっているか、どうすればその阻害要因を取り除けるのかを考える。このような、理想に対する(知的な)しつこさの有無が、理想と夢想を分かつのではないでしょうか?
もちろん、どんなに考え抜いても行動が伴わなければ、無意味・無価値ですから、走りながら考えることは非常に重要です。
どうありたいのか、どうしたいのかという理想・ビジョンをまず考える。そして、どうしたらそれが実現できるのか、それを考え抜き、実際にやってみて、さらに考えるを繰り返す。このようにして初めて、イノベーションは生まれるのではないでしょうか。アイディアはトイレで生まれるなんていいますが、なにもしない、ないも考えていないのにいきなりすごいアイディアが生まれるなんて、まずないですから!
以前、一橋大学の米倉誠一郎さんが言っていたことが強く印象に残っている。学校教育をどうするかについて、学ぶ量を増やすか減らすかを議論するんじゃなくて、今の100倍を半分の時間で身につけるためにどうするかを考える必要がある、とこんなようなことを言っていました。これが実現できたらイノベーションですよね!
「仕事の思想」という本がある。
田坂広志さんが、「なぜ、我々は働くのか」というテーマを、思想、成長、目標、顧客、共感、格闘、地位、友人、仲間、未来という10のキーワードを通じて語る本です。この本を読んだのは大学生の時ですが、社会人になって数年たった今読むと、(当時とはまた違った)様々な気づきがあります。
以前、「僕が最高に仕事を楽しめる理由」というメルマガを紹介しましたが、ぼくは仕事に主体的に向き合い、はたらくことを楽しむためには、仕事観やキャリア観をしっかり持つことが必要不可欠だと思っています。
しかしです。現代は、その仕事観やキャリア観が持ちにくい時代なのかもしれません。
ここ10年ほどで、経済状況はめまぐるしく変わりました。景気動向は、新卒採用にダイレクトに反映しますから、今の20代~30代は就職氷河期から売り手優位の時代、そして今日の採用絞り込みといううねりを自分の体験、あるいは先輩・後輩、兄弟姉妹の喜怒哀楽として目にしてきたと思います。
そんな乱気流の時代を目にしてきた20~30代は、安定したキャリア、安定した生活というものは存在しないのではないかという不安をうっすら感じている世代なのかもしれません。
経済がこれから先安定的に成長する見込みがない。日本国の財政も悪化する一方で、年金もそのうち破綻するんじゃないか。老人たちが支配する国のなかで、自分たちは搾取される立場だ。多くの若い人の中には、外部環境たる社会に対して、そんなイメージを持っている人もいると思います。
頑張れば報われるというイメージが持てない中で、そもそも終身雇用を期待していないし、何のために働くのかという問いに、答えを見いだせない人も多いのではないでしょうか。また、そもそも働くことに対して大した意味を見いだせない人もいると思います。
乱気流の時代、先の見えない時代においては、外部環境に身を任せるわけにはいかない。自分で進むべき方向を決めるためには、自分自身の仕事の思想が大切だと思うんだよね。この本は、自分だけの仕事の思想を考えるときの一助になると思う。
それでは、今週も働くを楽しんでいきましょう! 今年も残りあとわずか、悔い残さないよう最後まで全力で走りきろう。(風邪には気をつけてね)
(あれ、どのへんが100の理由なの? てへv)
宇宙はいつから存在するのか?
世界はどのように誕生したのか?
多くの神話、多くの宗教が世界の始まりに触れている。時間が不可逆である限り永遠の謎とも言えるこの問いに、現在、科学はある解答を与えている。
ビックバン。
今日、まるで常識であるかのように一般に信じられているこの概念の裏には、数多くの科学者の苦闘と挑戦、そして栄光と挫折があった。
星の正体。
夜空を見上げると、そこには満天の星がある。私たちは、それが燃えさかる巨大な球体、恒星であることを知っている。
天動説と地動説。
私たちは、そのどちらが正しいのか知っている。
アンドロメダ星雲。
ちょっと調べれば、それが地球から230万光年離れた銀河であることが分かる。
だが、科学者はどのようにそれを知ったのだろう。人類の宇宙に対する理解は古代にさかのぼる。ギリシア時代にはすでに、地球と太陽の距離が計測されていたと言ったら、驚くのではないか。人類の宇宙への探求は実ははるか古代から始まっていた。その遙か昔から、多くの有名無名の天才たちが探求を続けてきた。そして現在も、、、ビックバンモデルはあくまでも、宇宙創成の有力モデルであって、唯一絶対の解答ではない。
ガリレオ、コペルニクス、ケプラー、アインシュタイン、ハッブル、ホーキンス。彼らの名前は知っていても、その業績、そして彼ら自身については、どれだけ知っているだろう? この本は、古代から20世紀末の大発見であるビックバンモデルにいたる宇宙創成論の発展にまつわる数多くの人間ドラマの物語である。
サイモン・シンの本にはハズレがない。
本書の著者のサイモン・シンは、「フェルマーの最終定理」「暗号解読」につづいて、興味深くそして奥の深い科学についての話題を、そこにからむ人間たちのドラマを軸に、読者にわかりやすく、そしてなによりも非常にエキサイティングに語ることに成功している。ページを開けば、この「物語」に引き込まれること間違いなしである。「ビックバン」って言葉くらいは知ってるけど、、、という人のためにこの本は書かれている。
今回は、「Pathfinder’sセレクト」(またの名を「らすちー文庫」)と銘打って、我が家の本棚の中にある至高の一冊を紹介しました。この本、ホント超オススメ! (次回は何を紹介しようかなぁ~)
いま、多くの企業がビジョンや理念を組織に浸透させようと取り組みを始めている。グローバル化やダイバーシティ、そして組織のメンバーの価値観の多様化は、組織としての共通認識を持ちにくくしているのかもしれない。
共通認識、ビジョン、理念、クレド、バリュー。
J&Jやリッツなどのすばらしい成功事例を取り扱った書籍は本屋に溢れている。また、社内のコミュニケーションを図るさまざまな手法も、コンサルティング会社によって開発されている。
しかしである。
社内のコミュニケーションを活性化させて、シェアード・ビジョン(バリューでもなんでもいい)を作り上げましょうという、動きに対して、少々ひっかかるものがる、というのが正直なところだ。
ミドルからの変革、ミドルアップダウン、個々人が組織のビジョン形成に貢献する。そういった考えはもっともだし、その前提となっている多様性や組織と個人の関係の変化、組織の境界のあいまい化などにも賛同できる。だが、そこから透けて見えてくるのは、リーダーシップを失ったトップの姿である。
「かつてのようなリーダーシップは機能しない」
「サーバントリーダーの時代だ」
「連帯から生まれるリーダーシップが求められている」
このような、リーダーシップを失ったトップを慰める言葉は溢れている。このような、リーダーシップの放棄を正当化する言葉が溢れている。しかし、本当にそうだろうか。多様性なんて言ったら、アメリカはずうっっっっっと前からダイバーシティマネジメントに溢れていた。
失われた10年と言われ、失われた15年と言われ、そして衰退国家とささやかれ始めた日本。その現実の前にはどのような言い訳も通用しないのではないだろうか。(そもそも言い訳がいいわけないのがトップでしょ?)
組織の問題の原因は最終的には、トップに帰する。あらゆる成熟企業は(そして成熟社会も)、スピードの欠如、新陳代謝の低下、官僚化、部門間の閉塞性などの病理に見舞われる。その結果、多くの企業は衰退し、新興企業がそれに取って代わる。
変革は容易ではないし、変革を行える人間は稀である。GEを変えたウェルチ、IBMを建て直したガースナー。そのような人間は稀だからこそ、変革リーダーによる変革はメシア待望論として退けられる。
しかし、変革は容易なことではなく、変革を行える人間は稀なのだ。そして、変わらないければ、神々の黄昏よろしく組織は消え去るしかない。(巨大企業であれば、その資産を食い潰すまでは生き永られるが。。)
多様性からの連帯。
これを生むのは、トップの力量しだい。
三枝匡が「経営パワーの危機」の中で、日本企業の経営者人材の枯渇、トップのリーダーシップの欠如に警鐘を鳴らして15年以上がたつ。しかし、多くの日本企業の多くは、未だ、その課題を克服できていない。
環境の変化は、フェイクを排除する。
たとえば、ぼくが従事していた人事コンサルとか人材育成業界のハナシ。
サブプライムショックで、一種バブルともいえる情況が一変した。
人材教育予算が削られたため、カタカナのキャッチーなタイトルで売っていた
サービスなんてみーんな消え去るだろう。
それでも実際、こんな中で売り上げが伸びている、あるいは減っていない会社もある。
ちなみに、いま売り上げを伸ばしている会社には2種類あると思う。
ひとつは、真に価値あるものを売っているところ。
もうひとつは、必要なものをやすーく売っていることろ。(ユニクロみたいなトコ)
(以上、脱線)
ウェブ上であらゆる情報が得られ、プロと素人の垣根が消え、
新しいものを生み出すことの優位性が消えてしまったようにも思える。
でも、これは大きな間違え。
プロとアマの垣根が消え、誰でも簡単にモノを作り、あるいは模倣できるようになったからこそ、
真のプロの技が栄えるようになるんだ。
逆に言えば、プロは過去の実績や肩書きじゃもう飯は食えないってこです。
プロとしての技が問われているわけです。
自分自身を振り返ると、強みと弱みが見えてくると思います。
では、強みや弱みがわかったときどうするか。
ある人は強みを伸ばそうとし、
ある人は弱みを埋めようとする。
人間には多様な能力があり、少々の弱みであれば、
努力でそれを人並みにすることができる。
だが、多くの場合弱みの克服は、苦痛な作業となる。
そうして弱みをなくしたとして、その人にどれだけの価値があるだろう。
弱みをなくしても、平均的な、もっといえば平凡な人間が生まれるだけだ。
その時間と労力を強みを伸ばすことに使えば、
強みは他人の追随をゆるさないほどになるかもしれない。
また、強みを伸ばすことは、苦痛は少なく、楽しみを伴うことが多い。
そして、人に評価をされやすい。
自分は「××ができる」「××の専門家」というラベルを貼れば、
周りの人からもそのように認識され、その強みを使う機会を
与えてもらいやすくなるかもしれない。
そうすれば、ますますその強みを伸ばすことができる好循環が得られる。
実際、自分の周りのすんげぇヤツを見渡してみてほしい。
その多くの人には何かしらの欠点があるのではないか。
リーダーシップがあり、周りを巻き込んでいくのが上手い一方で、
時に独善的ともいえる考えをする人。
頭の回転が速く、アイディアマンだが、時に変な偏見を持っている人。
そんな例はないだろうか。
だが、彼らは弱みではなく、強みに集中しているからこそ、
すんげぇヤツなのではないだろうか。
では、弱みは無視してよいのか。
原則論を言えば、答えはYesだ。
だが、弱みが自分の欠点になっていないか注意する必要はある。
ここでいう欠点とはなにか。
それは、強みの発揮を阻害するものである。
もし強みの発揮を阻害するものがあれば、それは苦手なことであろうと、
真っ先に対処する必要があるだろう
前回のエントリーで民主党のビジョンの欠如、成長戦略の欠如について触れたが、これは政治の世界に限らず日本全体の問題なんじゃないかと思います。
トップダウンとなる日本国の成長戦略
ミドルアップダウンとなる企業の成長戦略
ボトムアップとなる個人の成長戦略
政治が悪い、な~んて言っても、それで問題は解決するわけがなくて、まずはやれることからやる必要がある。そこで、今回はボトムアップとなる個人の成長戦略について、考えてみたい。
個人の(といっても主に若手ビジネスパーソンを念頭に置いてます)成長戦略というとキャリア論の話にもなるのだが、成長戦略欠如の最大の問題点はロールモデルの欠如ではないでしょうか。
価値観の多様化やOJT/徒弟制の崩壊、乱気流の時代とも言われる大きく変化し続ける環境は、身の回りで目指すべき目標となるロールモデルを持つことを難しくしているように思います。(仕事なんてクソだ!って思ってる人は、そもそもロールモデルを欲しいとも、成長したいとも思ってないでしょうが。)
また、ロールモデルの欠如とも関連するけれど、めまぐるしく環境が変化する一方で、様々な情報が溢れている中で、何を学んだらいいのか、どんな能力を身につけたらいいのか、将来のために今何をしたらいいのかが分からないという問題があるのではないでしょうか。
本屋に行けば、ビジネス書が溢れるように並んでいる。ビジネス雑誌には次から次へとスキルが紹介される。ただ、どんなスキルもツールにしか過ぎない。使う力と使う場がなければ、どれだけたくさんのビジネススキルを学んでも単なるビジネススキル評論家にしかなれないのではないか。そもそも、ビジネス本や勉強法の本を読んで、仕事が出来る人/勉強が出来るようになった人って世の中にどれくらいいるのかな。
このように先の見えない一方で、広がる(とマスコミで報道されている)格差、一人歩きしている感のある「勝ち組負け組」という言葉は、成長への焦りと将来への不安を増大させている気がします。
むろん、今日の日本の状況は危機的状況なわけで、健全な危機感は必要だと思う。けれど、生き残りへの不安と焦りの中で成長の道筋が見いだせないというのは、キャリア形成の上でも、人生の上でもとても大切な「はたらくをたのしむ」ということを不可能にしてしまうと思うんだよね。
ただ、はっきりと認識しておかなければならないことは、日本という国はいまフロンティアにいるってこと。フロンティアには、先行者はいない。自分で道を切り拓いていかなければならない。キャリア形成でも同様で、人はそれぞれその人なりのユニークな人生を歩まざるをえない。他人の後に道はない。
じゃあ、ユニークなキャリアってどうすればいいのかって話だけど、まず始めに必要なことは、自分の強みを知る。これがスタートになるんじゃないでしょうか。そして、その強みを踏まえて、自分のこれまでの経験や興味、もちろん特技を掛け合わせて、自分だけの成長戦略を描いていくしかないんじゃないのかな。
この2つを念頭に置いて、悩み迷いながら人生を切り拓いていくしかない。それを後から振り返ったとき、成長したって思えるんじゃないかな。
Make your life extraordinary!
民主党には成長戦略がないと批判されている。もっとも自民党政権下においても、存在していなかったわけだから、日本国には成長戦略がないというのが実際のところだろう。とはいえ、民主党に成長戦略、とまでいかなくても、これからの日本のあるべき姿が提示できないのは大きな問題だ。
なぜなら、自民党政権への国民のNOの意思表示として誕生したのが民主党政権なのだから、具体的に今後のこの国をどうしていくかを提示しなくては、国民への背信となってしまう。友愛だのなんだの、抽象的なことを言ってあいまいにするのは、野党の間、あるいは選挙の間ならいいけれど、政権を取った以上はビジョンを示す義務があるはずだ。
先日終わった事業仕分けは、民主党政権発足後、目に見える結果を出した成果とよべるかもしれないが、よくよく考えると、ビジョンなくして行った判断は評価のしようがない。
Do or DoNotは、その判断の軸があって初めて意志決定が可能になるはずだ。しかし、この国の形をどうするのかのビジョンが示せないままに、このプロジェクト・企画は必要だ不必要だを判断したのが、今回の事業仕分けとやらではないだろうか。
(まあ、その判断の軸すら必要のない明らかに無駄なものをDoNotとするパフォーマンスっていうなら、成功したのかもしれないけれど。。。)
スパコンを始めとする科学技術関連の予算の削減は、色々とニュースになっていたけれど、これこそまさに、国家としてのビジョンによって左右されることだろう。日本が今後、科学技術立国として、国産技術を世界に広め、それでメシを食っていくというのなら、その目的達成のためにココのプロジェクトが有用かどうかを判断できるし、内需拡大を至上命題とするというのなら、その目的達成にそぐうそぐわないで判断すればいい。
何が必要で、何が不要なのかというのは、(もちろん中にはどう考えたって無駄無駄無駄ァァァ!ってのもあるにしろ)様々なステークホルダーがいる微妙な問題で、判断は難しい。だからこそ、考え方の軸が求められるはずなんだよね。
ま、政権とって3ヶ月くらいたつのに、副大臣が「経済運営における「第三の道」は何か。現在、深く考慮中。」な~んて言っちゃるんだもんなぁ。民主党のどこら辺に期待したらいいだろ。
3ヶ月(政権とる前から考えてたんだろうからもっとだろうけど)考えて、ノーアイディアなら、何年考えても良いアイディアは出てこないだろ。。。それより、トライアルアンドエラーの考えで、どんどん試行しながら政権運営したらどうでしょうか。なんだかんだ言って、日本にはまだ体力がある。ちょっと、失敗しちゃってもなんとかなるよ! せっかく長らく野党だった政党が政権とったんだから、ベンチャースピリット的なものをもって、将来の生き残り戦略を打ち出して、果敢に実行、、、なんてやっぱ理想論に過ぎないのかなぁ。
10月末に取り上げた「バンビオレッテ」の検索結果ですが、
本日(2009年11月30日)現在、ぬわーんと本家を差し置いてトップ。
まあ、メルマガ「僕が最高に仕事を楽しめる理由」の発行サボるなってことですな。
(ブログの更新サボってるヤツがエラそーに・・・)