望楼守の生思考

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声

一寸の光陰、軽んずべからず。

時というものは非情なもので、どんなに泣きわめこうと決して待ってはくれない。
それは所与のものとしてこの世に存在するあらゆるものに平等に与えられたものであり、
どれだけ足掻こうとも「死」と同じで人の手ではどうすることも出来ない。

ぼくが生まれてから30年が経ち、歴史が新しいミレニアムに突入して既に8年が経過した。
21世紀のこれまでを振り返ると、多くの偉大な人達がこの世を去ったことを思い起こさせられる。

ルチアーノ・パヴァロッティ

クラシック界を代表するスーパースターもその一人だ。
そのパヴァロッティが亡くなった時、インド出身の著名な指揮者であるズービン・メータは
次のようなコメントを残した。

ルチアーノの魂と素晴らしい声にとっての
新しい人生が今日始まる。
この瞬間にも彼の声は全世界を魅了し、
テレビやラジオがその姿を伝える。
記憶は永久に消えない。

He was gone now, but he left the great legacy for us.

自分もいつか、同じように死ぬ時が来る。
いつかぼくがこの世を去る時、ひとを魅了したり感動させたりすることができる
自分のachivementやlegacyはあるんだろうか。
そんなことをふと考えた。

いや、でも変に気負う必要なんてない。

マザーテレサのように、生涯を他人のために捧げる必要なんてないし、
ナポレオンのように、世界を変革する英雄になる必要も無い。

自分は自分自身にしかなれないのだから、
あるがままの自分と一緒に、これからもずっとずっと歩んでいこうと思う。

良心や義務感にかられ、自分に嘘をつき無理をするのではなく、
あるがままの自分をしっかりと見つめ、受け入れたいと思う。

他人の賞賛や愛情で、自分自身の価値を計るのではなく、
自分自身が自分をどう思っているのかを大切にし、
自分が他人に何が出来るのか、何をしたいのかを考え続けたい。

他人との比較の中で生きたり、
他人の達成を羨み、それを凌ぎたいという誘惑に屈することなく歩み続けたい。
他人(ひと)は他人、自分は自分。
ぼくは自分の人生を歩みたい。

いつだって、Integrityをドライブにして情熱と挑戦を忘れずに生きていこうと思う。
そうすればきっと、"make my life extraordinary"(人生はすばらしいものになる)

 

ぼくは世界を変えたい。
貧困と絶望と悲しみに満ちた世界を変えたい。
世界中の人を幸せにしたい。

けれど自分は神ならざる身、人間なんだ。
一瞬ですべてを変えることは出来ない。
だから、ひとつひとつ自分が出来ることを大切にしたい。

もしも、そうして自分が関わった人の誰かひとりにでもポジティブな影響を残せたら、
それが短い人生でもいいものだよね。
それが、いつか世界を変える流れを作る一助になるって信じたい。

To tame the savageness of man and make gentle the life of this world.

 

 

時は非情なものだ。
過去はどうすることも出来ないし、
未来がどうなるかは誰にも分からない。

ぼくがこれまで歩んできた昨日たちは、たくさんの失敗と愚行に満ちている。
ぼくがこれから歩もうとする明日たちは、未知の脅威と危険でいっぱいだ。

でも、、、

昨日までの日々は、もうぼくの手に届かないところへ永久に過ぎ去ってしまった。
そして、ぼくは未知の明日を前に、どこにあるか分からない落とし穴におびえるのではなく
また到達していない、遥か彼方の目標を見上げたい。

過去はどうすることも出来ないし、
未来がどうなるかは誰にも分からない。

ぼくに出来ることはただ一つ。
今この瞬間に何をするか決断し、行動するだけ。

The Choice

その選択の積み重ねがこれからのぼくの人生をかたちづくる。