望楼守の生思考

最近お気に入りの作家、伊坂幸太郎。

「死神の精度」、「重力ピエロ」、「陽気なギャングが地球を回す」、「グラスホッパー」と読みあさっている訳だが、知ったのは結構最近で、彼を知るきっかけになったのは、週刊少年サンデーで連載されていた、「魔王 JUVENILE REMIX」という作品だった。

この「魔王 JUVENILE REMIX」という漫画は、伊坂幸太郎の小説「魔王」(講談社文庫)を原作にリミックスしたマンガである。「グラスホッパー」を始め他の伊坂作品から登場事物を引っ張ってきており、思わずニヤニヤしてしまうシーンも多数あって、ちょーおもしろいのだ! このマンガ、つい先日完結を迎え、コミックスの最終刊(10巻)が発売されたばかり。ちなみに、グラスホッパーの主人公のひとり、蝉も登場するんだけど、これがまたかっこいいのだ。

原作小説と漫画、ストーリーとか色々かな~り異なるのだけれど、そのどちらでも問題提起されているのは、社会の雰囲気に流されていないか、本当に自分自身の頭で考え選択しているのか、ということだ。

小説の冒頭の情景は、「衆議院解散! 衆参同時選挙へ」「失業率史上最悪を更新」「与党支持率低下」と、あれ?それって今のことですか??と錯覚してしまう。

今の状況はこの魔王にかかれているものとよく似ている。与党自民党への失望と幻滅。そして、その失望や不景気への不安・不満が、自民党への反発となり、さらにその反動として民主党への支持になっている。

次回の総選挙では、民主党が政権を取るのが確実と言われている。が、国民は何を根拠に民主党を支持しているのだろう。あるいは、なぜ民主党に投票するのだろう。それは、少し前の東京都議会選挙にも同じことが言える。

民主党の主張に、民主党の描く日本の将来像に、みんな共感したんだろうか? 
単に、アンチ自民の雰囲気に飲まれ、何も考えずに民主を支持しているのではないだろうか?

はてさて、選挙まであと数日、我々の選択の時はもうすぐだ。魔王の中で、主人公の安藤はこう叫ぶ。

ムードに流されるな! 洪水に流されるな!!

この小説の中では、憲法改正が議論され国民投票にかけられる。作者はあとがきで、この小説は特定の政治思想を語ったものではないと述べている。しかし、この本を読むと、民主主義の意味や限界を考えさせられる。魔王の中で若きカリスマ政治家である犬飼はこう言う。(この犬飼さん、小説とマンガではずいぶんと描写が異なっているのだ)

今までの政治家は、国民の意見や迷信、流行に奉仕してきた。真理に奉仕してきたのではない。政治家は、未来に奉仕すべきではないか。私は、国民に迎合するつもりはない。なぜなら、それでは未来は築けないからだ。

自民党も民主党も、民主主義の多数決の仕組みの中で議席を取り合っている。多くの支持を取り付けるためには、”国民の意見や迷信、流行に奉仕”せざるを得ない。つまり、どちらの主張も実は似たり寄ったりだし、どちらが政権を取ってもやることは結局変わらないのではないか?

どうばらまくか、誰に分配するかの大同小異。そこに、10年後、50年後の国の形は見据えられているのだろうか? 大局観なき打ち手、グランドデザインなき施策は、その場しのぎの駒打に過ぎない。問題解決の基本は、大きいところから小さいところへと考えを巡らしていくことだと思うんだけどなぁ。。。なんか、ちんまりした小手先の政策の議論ばっかりだよねぇ。

望楼守の生思考

こう、ものを書くのって苦手なんですよね。色々書きたいことがあっても、上手くまとめられなかったり、逆に話を上手にふくらませられなかったり。

けれど、結局ブログも論文やプレゼンペーパーと同じなんだなと気づいた。つまり、「如何にメッセージを削るか」がもっとも大切なことなんではないか、と。色々書きたいことがあるとしても、本を書く訳じゃないんだから、そんなに詰めこめるわけない。それよりも、その記事で何が言いたいのか、を一言でまとめてみるのが大切なんじゃないだろうか。

言いたいことはコレ、とひとつに絞り、あとはそれをサポートするアイディアを述べればいい。これってまさに、論文の書き方と一緒。

Blogに挑戦すること数回、いっつも続けられずやめてしまったわけですが(だから、ネット上のいたるところにマイブログの残骸が・・・、って消せよ!)、今度こそ続けられるのかしら?

ブログでも捨てる技術というか、Not To Doというか、そういうのって重要なんだねぇ。。

「メッセージを削れ」。この方法は果たして効果があるのか?! それは今後のBlogの更新頻度によって証明される。。(のかなぁ)

望楼守の生思考キャリア

vinviolette(バンビオレッテ、と読む)の代表である澤田さんとは、ひょんなことから仲良くしてもらっていて、先日も館山までドライブ&魚ウマーをしに行った仲である。

そんな彼が最近メルマガを始めた。その名も「僕が最高に仕事を楽しめる理由」。深夜、哲也徹夜を厭わず働く彼を動かすものは何か、が分かるメルマガである。いや、もしかしたら分からないかもしれないケド。

内容はというとこんな感じ(2009/08/17現在)。

vol.01 ワークライフバランスは僕らにあてはまらない
vol.02 働く意味を考える時代?
vol.03 金は僕らを豊かにしない。
vol.04 強みを活かそう
vol.05 まずは関係性を高めよう
vol.06 出来ない言い訳を探さない人になろう。
vol.07 大きな組織では「好きなこと」をやれない?
vol.08 誰もが面白い仕事を手にするたった一つの近道

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仕事に対して、どう感じているかは人それぞれでしょう。仕事なんてクソだろ!って思いつつも、でも金稼がないと暮らせないからってことで仕方なく働いている人もいれば、仕事最高!って感じながら、ワーカホリックに働く人もいる。

ただ、どんなに仕事が好きだ、仕事は面白いって感じている人でも、つまらない仕事をやってない訳じゃないと思う。けれども、自分のキャリア観、仕事観をしっかり持っている人は、つまらない仕事にもまじめに取り組むことが出来る。つまらない仕事にも全力を尽くして早く片付けるからこそ、好きな仕事をやる余裕が出来る。その結果、仕事が面白くなる、というスパイラルがあるんじゃないでしょうか。

なにより、どうせ働くなら、嫌々よりも、楽しんで働ける方がいいよね。

このメルマガは、20代~30代のビジネスパーソンが日々の仕事を振り返ったり、これからの自分のキャリアを考えたりするときに参考になる内容だと思います。興味を持った方はぜひ購読してみては?

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望楼守の生思考Pathfinder

史上最高益!なんていう数年前の話が夢や幻だったみたいに最近はくら~いニュースが続いています。そんな中、多くの会社が巨大な赤字とそれに対するリストラなどの対策を発表しています。

そんなニュースに関連して、こんな話を耳にします。曰く、アメリカ企業は、株主の方ばかりみて経営を行っているのため短期志向で、すぐにリストラをする。あるいは、拝金主義で、企業の永続性や自分が去った後のことを軽視している、と。

もっとも、これは以前から言われていたことです。最近はさらに、こんな話が続くこともあります。

最近は、日本企業のアメリカ化が進んでいる。昔の経営者は苦しいときでも従業員をクビにせず、頑張ってきた。長期志向で人を大切にする、それが日本企業の強さの源泉だったのではないか。しかし、最近の経営者は短期の業績にとらわれて、すぐリストラなど安易な手段をとる。

最近の経営者はなっとらん、という主張です。下り坂の時代になると過去の栄光に目がいくのは人の性でしょうか。松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、立石一真などの戦後の日本復興の立役者ともいうべき名経営者の名前を最近よく雑誌などで目にします。
(まぁ、実際のところ、彼らの名前は経済が上り坂であれ下り坂であれ目にするのですが・・・)

 

さて、日本人だけでなく、アメリカ人の著名な経営学者もアメリカの経営者の近視眼を批判し、日本企業の長期視点を礼賛しています。しかし、長期志向は短期志向より優れた方策なのでしょうか。アメリカの経営者は株主が与える巨額の報酬に目がくらんだ結果、短期志向に走ったのでしょうか。この経済危機で短期志向になっている日本の経営者達の質は、かつてに比べ落ちてきているのでしょうか。

けれど、思うのです。

終身雇用、家族主義経営、長期志向経営、いや、それらに限らず、資本主義や民主主義などあらゆる制度やシステムなどは、普遍的なものでも絶対的な価値を持つものでもないのではないか、と。そのときの時代背景や状況に適応した結果生まれた偶然の産物に過ぎないのではないだろうか、と。もしそうであるとすれば、日本企業の長期志向は本当にかつての名経営者の優れた力の賜だったのだろうか。

日本が長期志向だったのは、経営者の志が高かった故ではなく、戦後のゼロからの出発という右肩上がりの安定成長という時代背景に支えられたものではないだろうか。アメリカという、追いかける相手、見本となる相手がいたからこそ、長い目で見れたのではないか。

逆に言えば、アメリカ企業が短期志向なのは、株主主義、拝金主義だからではなく、戦後世界で最も発展している故に、手本となるものがなにもないフロンティアに立つが故に、これから先の見通しを立てることが難しく、短期志向にならざるを得なかったという可能性はないだろうか?

そんなことを考えてしまいます。

そして今日、アメリカの巨大消費というポンプを原動力にした経済が機能しなくなった世界経済の中で、今後世界がどうなっていくのかは誰にも分かりません。また、世界第2位の経済大国である日本には、かつてとことなり、もはや手本となる国はありません。

日本企業が長期志向でいられなくなったのは、経営者の質の劣化でも日本企業のアメリカ化でもなく、環境の変化、長期志向が拠って立つところがなくなってしまった故なのかもしれません。

 

<追記という名の蛇足>

いうまでもないけれど、上述は主張の振り子を極端な方へ振った仮説です。ですから、補論、反論、異論など大歓迎です。(コメント・トラックバックあるいは右の「Contact」にあるメールフォームにて。)

今回の金融危機によって、今後世界がどうなるか分からなくなったと言うが、以前からずっと世界は乱気流の時代だった。1985年のプラザ合意に始まる急激な円高は、未曾有の出来事だったはずだ。けれども日本の輸出企業は、そんな環境下でも利益を出し、成長し続け、世界一のものづくり大国になった。それらの企業を率いた経営者達は、間違いなく不世出の名経営者であったと思います。本論では極端な主張をしたため、名前を出した人を含め戦後の日本を築いた名経営者達を評価しないような書き方をしてますけど、ぼくが豊かな国で生まれ育てたことに感謝していますし、尊敬の念をもっています。けど、現代だって、先の見えない中、必死になって道を切り開こうとしている経営者はたくさんいると思うんだ。