WEB最適化の知と技法

これは、すごい。
自分でサイト持っている人は、是非使ってみてほしい。

Googleウェブマスターツールとは、自分のWEBサイトが
Googleにどのように見られているかが分かるツールだ。

例えば、上位の検索キーワードと自分のサイトの掲載順位など
様々な情報が手に入る。

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本Blogのタイトルである「望楼守」での検索では、
なんと検索順位トップ!(うわぁい)

ドラッカーがゲーテの「ファウスト」の引用して自分を望楼守に
例えた話を 紹介しているページよりも上位だ。
タイトルに使っているワードって強いんだねぇ。

 

と、ここまでは理解できるのですが・・・・

 

意外なワードでは、「脱残業」が検索順位4位。
残業から逃れようとして訪れた人スイマセン、
お役に立てる記事はありません。。

 

意味分からないのは「あるかとらす」。

あるかとらす・・・?
アルカトラス?

なぜヘビメタ?  なぜ刑務所?(それはアルカトラズだ)
そんな言葉、使ったことないはずなのに何故か12位。
不思議に思って実際に検索してみると、、、

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 ?!
あるかと。[中略]らすちの」って、そんな馬鹿な!(笑

 

あとは、「国際法 勉強法」。
ごめんなさい。「脱残業」と同じで国際法の勉強法についてなんか
一切書いてません!(ちなみにこのページが引っかかった)

 

しかし、「脱残業」「国際法 勉強法」「会社 開業」って、
どんなブログだよ、と。

残業せずに、国際法を一生懸命勉強して、起業しました!
みたいな内容を想像しちゃうじゃないですか。

それなのに実際は、意味不明のアラサー大学生のにっき。
期待を裏切ってごめそ。。。
(´・ω・`)しゅーん

 

と、まあ見てるだけで色々なネタ、、もといハッケンがあること間違いなし。
SEOとかCEOに興味ないみんなも一度は見てみるべし!

 

P.S.
しかしライフネット生命関連のワードが3つも入っているのは、
それだけ多くの人がGoogleでこの言葉を検索するってことですよね。
最近はプロモーションも積極的に行ってるから認知度も
上がってきたんですかね。

(ぼくも死亡保険だけでも入ろうかしら)

望楼守の生思考人材育成

ぼくの専門領域は、戦略的な人材育成とコンタクトセンターのCS改善、それからWEBサイトのユーザビリティの向上だ。

まあ、なんだか節操のない感じだけど、コンサル会社で関わったプロジェクトという運と自分の興味が組み合わさった結果こうなったのだ。社会人を卒業したとはいえ、せっかく得た専門領域なので、自分の学びと考えのエッセンスをここに残しておこうと思う。将来、社会人に復帰したときに、またこの領域で仕事をするかもしれないしね。(するのかねぇ)

人材育成分野でホットなトピックは色々ある。学習する組織や人を育てる組織に関する議論や、グローバル人材やリーダーの育成、次世代の経営者人材の育成なんかも重要なトピックだ。

しかしまずはじめに、組織人事、特に人材育成について考える際の基本となる「能力」のとらえ方について、自分の中の整理も兼ねて徒然と書いてみようと思う。

企業の人材育成のための様々な施策の目的は、社員の能力開発にあるわけだが、そもそも「能力」とはいったいなんだろう。

従来の能力観(と、ここでは便宜的にいうことにします)では、能力とは知識や経験といった専門性の高さや思考能力の高さということになる。また、それらに加えやる気といった仕事への積極性やコミュニケーションスキルなどの協調性があげられるかもしれない。

ここでいう能力とは、つまるところ、特定のスキルセットやマインドセットを持っているかどうかということになる。

この従来型の能力観には「持っている能力=発揮されている能力=成果に結びついている能力」という前提があるわけだが、実際にはこの前提が必ずしも成り立っていないのが現実ではないだろうか。

頭がいいからといって高い成果をあげているとは限らないし、どんなに専門性が高かろうが、どんなに頭がキレようが、どんなにやる気があろうが、それが常に高い成果に結びついているとは一概には言えないだろう。

そこで改めて「会社が求める人材、会社に貢献できる人材とは」を考えるとき、能力に対する見方を転換する必要があるわけだ。

新しい能力観(と、ここでは便宜的[以下略])では、「能力」をスキルセットやマインドセットの有無ではなく、成果を生むためにそれらを「使える」かどうかという視点で捉えることが重要となる。成果を生むためにどのような能力を発揮したのか、その能力発揮の結果どのような成果を生み出したのかということに目を向ける必要がある。

言葉をかえれば、HaveではなくDoに目を向けるといえるかもしれない。

従来型の能力観

  • 知識・経験
  • 思考力
  • 積極性・協調性

を持っているか?

新しい能力観

  • 知識・経験が仕事で活用されているか
  • 思考力が実践に結びついているか
  • 積極性・協調性が成果につながる行動になっているか

能力のある人材とは、スキルのある人間ではなく、成果を生み出す人間であるというと、なんだそんなの当たり前のことではないかと、考える人が大半だと思います。

しかし重要なことは、実際にHRMにおける様々な施策を立案・実行する上で、このスキルと成果の間にあるものを踏まえているかどうかです。

次回は、このことについて書いてみたいと思います。

望楼守の生思考Pathfinder

ゲーテの「ファウスト」第2部の第5幕(最終幕)で望楼守リュンケウスは
ファウストの館の望楼で朗々と歌う。

Zum Sehen geboren
Zum Scauen bestellt
見るために生まれ
物見の役を仰せつけられ (高橋義孝訳)

20世紀を代表するThe Best & The Brightestのひとり、
故ピーター・ドラッカーはこの言葉を引用して
社会生態学者である自らをこの望楼守にたとえた。

社会生態学者は、変化してゆく社会の本質をつかみ、
まだ誰も気づいていない変化の兆しを見い出す者である。

彼によるとSocial Ecologist(社会生態学者)は、
社会を分析するのではなく、その在り様をただ観察するだけである。

部分をいくらあつめても全体にはなりえない。
だから、社会の一部分を切り取り分析するのではなく、
変化する社会を全体としてとらえるのだという。

分析は事象をフレームワークに沿って切り分け、不要なものを切り捨てる。
ある事象をふるいにかけ、相対的に大きいものを残し、小さいものを捨象する。

しかし、残ったものにその本質があるとは限らず、
捨て去ったものの中にこそその本質があるかもしれない。

まだ誰も知らない変化の兆しは、その時切り捨てられてしまう。
それゆえ、社会生態学者は、分析をするのではなく、観察をするのだろう。

Pathfinderとは、先の見えない時代において、
道なき道を自らの手で切り拓く者だ。

そのためには、Social Ecologistの眼で世界を見る必要がある。

望楼守の生思考Pathfinder

20世紀後半に起きたベルリンの壁崩壊、そしてソ連崩壊は、
人々に対立の時代の終わりと新たな世界秩序による平和を
もたらしたかにみえた。

しかし、中東での紛争やアフリカでの民族対立や虐殺といった悲劇を、
人類は20世紀のうちに終わらすことは出来なかった。

そして、新しい世紀、新しいミレニアムを迎えたばかりの2001年9月11日、
唯一のスーパーパワーとなったアメリカ合衆国の中枢をテロが襲った。

この出来事をはじめ、21世紀に入り約10年間の間に、ITバブルの崩壊、
エンロンやワールドコムといった巨大企業の倒産、金融工学の発達と
ヘッジファンドの台頭、そしてサブプライム問題とリーマン・ブラザース証券の
破綻をきっかけとした世界的な不況という様々な出来事を経験した。

21世紀は、これまでの常識が通用しない未知の世界だ。
何が起こるのか誰にも分からない。

そんな先の見えない時代において、お手本や答えはどこにもない。
道なき道を自らの手で切り拓いていかなくてはならない。

Pathfinderとは、そんな誰も正しい答えが分からない中で、
自分なりの世界観とファクトベースの分析、そして自らの直感によって
自分の進むべき道を見いだすことが出来る人間のことだ。

望楼守の生思考

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声

一寸の光陰、軽んずべからず。

時というものは非情なもので、どんなに泣きわめこうと決して待ってはくれない。
それは所与のものとしてこの世に存在するあらゆるものに平等に与えられたものであり、
どれだけ足掻こうとも「死」と同じで人の手ではどうすることも出来ない。

ぼくが生まれてから30年が経ち、歴史が新しいミレニアムに突入して既に8年が経過した。
21世紀のこれまでを振り返ると、多くの偉大な人達がこの世を去ったことを思い起こさせられる。

ルチアーノ・パヴァロッティ

クラシック界を代表するスーパースターもその一人だ。
そのパヴァロッティが亡くなった時、インド出身の著名な指揮者であるズービン・メータは
次のようなコメントを残した。

ルチアーノの魂と素晴らしい声にとっての
新しい人生が今日始まる。
この瞬間にも彼の声は全世界を魅了し、
テレビやラジオがその姿を伝える。
記憶は永久に消えない。

He was gone now, but he left the great legacy for us.

自分もいつか、同じように死ぬ時が来る。
いつかぼくがこの世を去る時、ひとを魅了したり感動させたりすることができる
自分のachivementやlegacyはあるんだろうか。
そんなことをふと考えた。

いや、でも変に気負う必要なんてない。

マザーテレサのように、生涯を他人のために捧げる必要なんてないし、
ナポレオンのように、世界を変革する英雄になる必要も無い。

自分は自分自身にしかなれないのだから、
あるがままの自分と一緒に、これからもずっとずっと歩んでいこうと思う。

良心や義務感にかられ、自分に嘘をつき無理をするのではなく、
あるがままの自分をしっかりと見つめ、受け入れたいと思う。

他人の賞賛や愛情で、自分自身の価値を計るのではなく、
自分自身が自分をどう思っているのかを大切にし、
自分が他人に何が出来るのか、何をしたいのかを考え続けたい。

他人との比較の中で生きたり、
他人の達成を羨み、それを凌ぎたいという誘惑に屈することなく歩み続けたい。
他人(ひと)は他人、自分は自分。
ぼくは自分の人生を歩みたい。

いつだって、Integrityをドライブにして情熱と挑戦を忘れずに生きていこうと思う。
そうすればきっと、"make my life extraordinary"(人生はすばらしいものになる)

 

ぼくは世界を変えたい。
貧困と絶望と悲しみに満ちた世界を変えたい。
世界中の人を幸せにしたい。

けれど自分は神ならざる身、人間なんだ。
一瞬ですべてを変えることは出来ない。
だから、ひとつひとつ自分が出来ることを大切にしたい。

もしも、そうして自分が関わった人の誰かひとりにでもポジティブな影響を残せたら、
それが短い人生でもいいものだよね。
それが、いつか世界を変える流れを作る一助になるって信じたい。

To tame the savageness of man and make gentle the life of this world.

 

 

時は非情なものだ。
過去はどうすることも出来ないし、
未来がどうなるかは誰にも分からない。

ぼくがこれまで歩んできた昨日たちは、たくさんの失敗と愚行に満ちている。
ぼくがこれから歩もうとする明日たちは、未知の脅威と危険でいっぱいだ。

でも、、、

昨日までの日々は、もうぼくの手に届かないところへ永久に過ぎ去ってしまった。
そして、ぼくは未知の明日を前に、どこにあるか分からない落とし穴におびえるのではなく
また到達していない、遥か彼方の目標を見上げたい。

過去はどうすることも出来ないし、
未来がどうなるかは誰にも分からない。

ぼくに出来ることはただ一つ。
今この瞬間に何をするか決断し、行動するだけ。

The Choice

その選択の積み重ねがこれからのぼくの人生をかたちづくる。