望楼守の生思考

環境の変化は、フェイクを排除する。

たとえば、ぼくが従事していた人事コンサルとか人材育成業界のハナシ。

サブプライムショックで、一種バブルともいえる情況が一変した。

人材教育予算が削られたため、カタカナのキャッチーなタイトルで売っていた

サービスなんてみーんな消え去るだろう。

それでも実際、こんな中で売り上げが伸びている、あるいは減っていない会社もある。

 

ちなみに、いま売り上げを伸ばしている会社には2種類あると思う。

ひとつは、真に価値あるものを売っているところ。

もうひとつは、必要なものをやすーく売っていることろ。(ユニクロみたいなトコ)

(以上、脱線)

 

ウェブ上であらゆる情報が得られ、プロと素人の垣根が消え、

新しいものを生み出すことの優位性が消えてしまったようにも思える。

 

でも、これは大きな間違え。

 

プロとアマの垣根が消え、誰でも簡単にモノを作り、あるいは模倣できるようになったからこそ、

真のプロの技が栄えるようになるんだ。

逆に言えば、プロは過去の実績や肩書きじゃもう飯は食えないってこです。

プロとしての技が問われているわけです。

 

望楼守の生思考キャリア

自分自身を振り返ると、強みと弱みが見えてくると思います。

では、強みや弱みがわかったときどうするか。

ある人は強みを伸ばそうとし、

ある人は弱みを埋めようとする。

 

人間には多様な能力があり、少々の弱みであれば、

努力でそれを人並みにすることができる。

だが、多くの場合弱みの克服は、苦痛な作業となる。

そうして弱みをなくしたとして、その人にどれだけの価値があるだろう。

弱みをなくしても、平均的な、もっといえば平凡な人間が生まれるだけだ。

 

その時間と労力を強みを伸ばすことに使えば、

強みは他人の追随をゆるさないほどになるかもしれない。

また、強みを伸ばすことは、苦痛は少なく、楽しみを伴うことが多い。

そして、人に評価をされやすい。

 

自分は「××ができる」「××の専門家」というラベルを貼れば、

周りの人からもそのように認識され、その強みを使う機会を

与えてもらいやすくなるかもしれない。

そうすれば、ますますその強みを伸ばすことができる好循環が得られる。

 

実際、自分の周りのすんげぇヤツを見渡してみてほしい。

その多くの人には何かしらの欠点があるのではないか。

リーダーシップがあり、周りを巻き込んでいくのが上手い一方で、

時に独善的ともいえる考えをする人。

頭の回転が速く、アイディアマンだが、時に変な偏見を持っている人。

そんな例はないだろうか。

だが、彼らは弱みではなく、強みに集中しているからこそ、

すんげぇヤツなのではないだろうか。

 

では、弱みは無視してよいのか。

原則論を言えば、答えはYesだ。

 

だが、弱みが自分の欠点になっていないか注意する必要はある。

ここでいう欠点とはなにか。

それは、強みの発揮を阻害するものである。

もし強みの発揮を阻害するものがあれば、それは苦手なことであろうと、

真っ先に対処する必要があるだろう

 

望楼守の生思考キャリア

前回のエントリーで民主党のビジョンの欠如、成長戦略の欠如について触れたが、これは政治の世界に限らず日本全体の問題なんじゃないかと思います。

トップダウンとなる日本国の成長戦略
ミドルアップダウンとなる企業の成長戦略
ボトムアップとなる個人の成長戦略

政治が悪い、な~んて言っても、それで問題は解決するわけがなくて、まずはやれることからやる必要がある。そこで、今回はボトムアップとなる個人の成長戦略について、考えてみたい。

個人の(といっても主に若手ビジネスパーソンを念頭に置いてます)成長戦略というとキャリア論の話にもなるのだが、成長戦略欠如の最大の問題点はロールモデルの欠如ではないでしょうか。

価値観の多様化やOJT/徒弟制の崩壊、乱気流の時代とも言われる大きく変化し続ける環境は、身の回りで目指すべき目標となるロールモデルを持つことを難しくしているように思います。(仕事なんてクソだ!って思ってる人は、そもそもロールモデルを欲しいとも、成長したいとも思ってないでしょうが。)

また、ロールモデルの欠如とも関連するけれど、めまぐるしく環境が変化する一方で、様々な情報が溢れている中で、何を学んだらいいのか、どんな能力を身につけたらいいのか、将来のために今何をしたらいいのかが分からないという問題があるのではないでしょうか。

本屋に行けば、ビジネス書が溢れるように並んでいる。ビジネス雑誌には次から次へとスキルが紹介される。ただ、どんなスキルもツールにしか過ぎない。使う力と使う場がなければ、どれだけたくさんのビジネススキルを学んでも単なるビジネススキル評論家にしかなれないのではないか。そもそも、ビジネス本や勉強法の本を読んで、仕事が出来る人/勉強が出来るようになった人って世の中にどれくらいいるのかな。

このように先の見えない一方で、広がる(とマスコミで報道されている)格差、一人歩きしている感のある「勝ち組負け組」という言葉は、成長への焦りと将来への不安を増大させている気がします。

むろん、今日の日本の状況は危機的状況なわけで、健全な危機感は必要だと思う。けれど、生き残りへの不安と焦りの中で成長の道筋が見いだせないというのは、キャリア形成の上でも、人生の上でもとても大切な「はたらくをたのしむ」ということを不可能にしてしまうと思うんだよね。

ただ、はっきりと認識しておかなければならないことは、日本という国はいまフロンティアにいるってこと。フロンティアには、先行者はいない。自分で道を切り拓いていかなければならない。キャリア形成でも同様で、人はそれぞれその人なりのユニークな人生を歩まざるをえない。他人の後に道はない。

じゃあ、ユニークなキャリアってどうすればいいのかって話だけど、まず始めに必要なことは、自分の強みを知る。これがスタートになるんじゃないでしょうか。そして、その強みを踏まえて、自分のこれまでの経験や興味、もちろん特技を掛け合わせて、自分だけの成長戦略を描いていくしかないんじゃないのかな。

 

  • いま自分はフロンティアに立っている(追いかける相手はいない)
  • キャリアはかけ算

この2つを念頭に置いて、悩み迷いながら人生を切り拓いていくしかない。それを後から振り返ったとき、成長したって思えるんじゃないかな。

Make your life extraordinary!

望楼守の生思考

民主党には成長戦略がないと批判されている。もっとも自民党政権下においても、存在していなかったわけだから、日本国には成長戦略がないというのが実際のところだろう。とはいえ、民主党に成長戦略、とまでいかなくても、これからの日本のあるべき姿が提示できないのは大きな問題だ。

なぜなら、自民党政権への国民のNOの意思表示として誕生したのが民主党政権なのだから、具体的に今後のこの国をどうしていくかを提示しなくては、国民への背信となってしまう。友愛だのなんだの、抽象的なことを言ってあいまいにするのは、野党の間、あるいは選挙の間ならいいけれど、政権を取った以上はビジョンを示す義務があるはずだ。

先日終わった事業仕分けは、民主党政権発足後、目に見える結果を出した成果とよべるかもしれないが、よくよく考えると、ビジョンなくして行った判断は評価のしようがない。

Do or DoNotは、その判断の軸があって初めて意志決定が可能になるはずだ。しかし、この国の形をどうするのかのビジョンが示せないままに、このプロジェクト・企画は必要だ不必要だを判断したのが、今回の事業仕分けとやらではないだろうか。

(まあ、その判断の軸すら必要のない明らかに無駄なものをDoNotとするパフォーマンスっていうなら、成功したのかもしれないけれど。。。)

スパコンを始めとする科学技術関連の予算の削減は、色々とニュースになっていたけれど、これこそまさに、国家としてのビジョンによって左右されることだろう。日本が今後、科学技術立国として、国産技術を世界に広め、それでメシを食っていくというのなら、その目的達成のためにココのプロジェクトが有用かどうかを判断できるし、内需拡大を至上命題とするというのなら、その目的達成にそぐうそぐわないで判断すればいい。

何が必要で、何が不要なのかというのは、(もちろん中にはどう考えたって無駄無駄無駄ァァァ!ってのもあるにしろ)様々なステークホルダーがいる微妙な問題で、判断は難しい。だからこそ、考え方の軸が求められるはずなんだよね。

ま、政権とって3ヶ月くらいたつのに、副大臣が「経済運営における「第三の道」は何か。現在、深く考慮中。」な~んて言っちゃるんだもんなぁ。民主党のどこら辺に期待したらいいだろ。

3ヶ月(政権とる前から考えてたんだろうからもっとだろうけど)考えて、ノーアイディアなら、何年考えても良いアイディアは出てこないだろ。。。それより、トライアルアンドエラーの考えで、どんどん試行しながら政権運営したらどうでしょうか。なんだかんだ言って、日本にはまだ体力がある。ちょっと、失敗しちゃってもなんとかなるよ! せっかく長らく野党だった政党が政権とったんだから、ベンチャースピリット的なものをもって、将来の生き残り戦略を打ち出して、果敢に実行、、、なんてやっぱ理想論に過ぎないのかなぁ。